『閃き』

こんばんは。  お久しぶりです。

 

コフェックです。

 

昔からのクセ?習慣なのですが、私は何故か考えごとをする時に歩きたくなります。

 

f:id:cofeck_factor_V:20210121193155j:image

 

ある日の歩数計です。別に大したことのない歩数ですが、歩き続けて考えごとをするのが私の常であり思考法の一つです。

 

足が棒になりますが、それと引き換えに歩いている時は私を深い思考の奥深くまで連れて行ってくれる感覚を味わえる瞬間があるのです。それに引き込まれて歩いている自分もいます。

 

 

以前、歩いている時にまだ私が子供だった頃に両親に連れて行ってもらったことのある焼肉屋のそばを久しぶりに通りました。なんてことない思い出の一つですが、子供の頃は今と違って一人で外食したり、友人と外食したりと言うのが無かったので子供ながらに胸を踊らせていたことをおもいだしました。子供の頃は目の前に起きることが自分にとって全てで、後先なんて考えず行動していたように思います。

 

いまはいろんなことを考えながら、未来のこと、また過去に犯してしまった過ち、そして今、自分が向き合わないといけないこと。

 

もうこの年まで生きていると、頭の中を空っぽにして何かに取り組むことは難しいように思います。そんな複雑で多くのことが絡み合う今の世の中だからこそ、夢中になれる何か、は意識的に自分で向かっていかないと見つけることはできないように思います。もう昔のように純粋な気持ちだけで物事に関わることはできないのですから。

 

 

とはいえ、なかなかそう簡単に見つかるものでは無いと思います。そんなあなたにおすすめの方法、お教え致します。

 

『本当に興味があることを見つけるために、いらないものを徹底的に省いてみる』という方法です。つまり、自分にとって夢中になれる、つまり必要なものを知るためには、自分にとって取るに足らないことをバッサリと切り捨てていく必要があります。興味もないのに定期的に覗くSNS、面白くないのに時間潰しのために見る動画サイト、興味もないのに無意識に流し見るテレビ番組、上げ出せばキリがありません。

 

これって実は「利用者がメディアを消費している」のではなくて、メディアによって利用者の時間が『消費』されている」なんですよね。

そういったコンテンツって簡単に瞬間的な快楽を得られるので、一瞬人は満足を覚えてしまうのですが、実はその快楽って本当の快楽ではなくて、一方的にコンテンツによって擬似的に感じさせられている偽の快楽なんですよね。

 

本当の快楽とは何かを考える必要があります。

 

いらないものを省くことで、自分自身と向き合う時間を嫌でも作り出すことができます。

自分にとって何が大切で、何が大切でないのかを考えないとあっという間に人生は終焉を迎えます。気付いた頃にはもう遅い、そうなってから嘆いても戻らないのが時間というもの。

 

もし、あなたが自分の人生に少しでも疑問や不満があるならそれは不必要なものに囲まれているからかもしれません。

 

勇気を持って、一度で構いません。バッサリと行ってみてください。何かがきっと変わります。